This blog used to be my strange random blog, but now I will use this as a place to update the rest of the journey fighting ovarian cancer.
今後はこのブログを通して、私の残りの闘病と、状況のアップデートをしていきたいと思います。
Thursday, February 24, 2011
日吉便り
今日2月24日は、妹曜子の誕生日でした。
一緒にご飯でも、というわけに行かないので、お誕生日メールとプレゼントを贈ったのだけど、そのお礼に実家の梅の花の写真とイライザの写真が送られてきました。
彼女の好きなもの2つ。イライザと庭の梅の木。
イライザは当然の事ながら桑畑家の愛猫につき、家族全員で目の中に入れても痛くないほど可愛がっているのあります。ま、パパとおばあちゃんは猫はそこそこ・・といった感じだけど。。
とりわけ曜子は、イライザの拾い主とだけあって、思い入れは一段と強いようで、実家に帰る度にイライザをいまにも食べてしまうのではないかというような勢いで可愛がっている。
実際気付くとパクッとイライザの手やら顔やらを口に入れて、すでにムツゴロウさんの域に達している我が妹。私も彼女もスーパー猫アレルギーの猫好きであります。
そして桑畑家の銘木であるこの梅の木。この木にはちょっとした歴史があります。
元々今の日吉の家の敷地には、平屋で大きな庭のある祖父母の家が建っていました。祖父母と父とその兄姉達は、父が高校の時くらいに富山からこの日吉の家へ超してきたのです。48〜9年前という事かな。当時からずっと、この梅の木はそこに立っていて。この梅の木は、父の学生時代の事も、母がお嫁に来た頃の事も、わたしが赤ちゃんのころに素っ裸に白い帽子かぶって庭に敷かれたござに座ってる様子も、じっと眺めてきたのです。
私が丁度小学校5年生になる春、祖父の体調の変化もあり、古い平屋を立て壊し、新しく敷地内に2件家を建てて、その一つにうちの家族が調布市仙川から引越してきたのです。私は小学校5年生になる春、典子氏は3年生、曜子氏は当時まだ幼稚園生。
家の建て壊しなどを経ても、庭の木は一部保存されて、松の木とこの梅の木、つつじやに薔薇やソテツなどが残った。中でも梅の木には思い入れがあるから残ってくれて良かった。
この梅の木は、昔からおばあちゃんが夏に梅の実がなると、収穫して梅干しをつくってくれた。おばあちゃんの手作り梅干し。買った梅干しには無いこの素朴な味が最高においしかった。そして仙川に住んでた時は、車で日吉から帰る際に車に酔わないおまじないといって、おへそに梅干しを入れられて絆創膏でペタッとはられた・・・。
おばあちゃんの知恵袋、といったところでしょうか。ちびまるこにでも出てきそうなエピソードがおばあちゃんの周りではよく起こるのです。もっともおまじないの効果については今でも謎なのですが。。今はもうおばあちゃんは94歳なので、代わりにうちのママが梅干しを漬けたり梅酒をつくっているようです。
あの梅の木の樹齢はどのくらいなんだろう。今度聞いてみよう。イライザは今17〜8歳くらいかな。最近はもうほとんど動かないでほぼ一日中寝てます。眠り猫。
とまあ、昔からある梅の木を、曜子氏はえらく好きで、梅の木に少しでも新芽が出始めようならばすぐに気付いてその事に着いて話してくれたので、彼女の発言に寄って季節を感じたりするようなこともある。そういうのっていいね。
送ってもらった写真を通して庭の梅の花の香りが届いたような気分。
雪の日にほっこり和みました。
ありがとう。
私はあなたの歳になる前の初夏にアメリカに来ました。いくつになっても自分次第で何でも出来るし自在に変わる。
でもさ、やっぱ、変わらないものっていうの大事だよね。
妹よ、頑張るのだー。姉はいましばし遠くから応援しております。
Monday, February 21, 2011
あちらとこちら
今週末は素晴らしい冬晴れの週末だった。丁度私のiMacが置いてあるデスクは窓辺コーナーにあるので、座って作業をしていると後ろから日差しが当たりとても暖かかった。
最近人からエネルギーを貰うようなことが多く、ここのところ引きこもりがちで暗い海の中へ横歩きで消えて行く蟹のようにになっていたところを救われたようだ。
土曜日に薬局へ処方箋を貰いに行く帰りに、お気に入りのワインを買い、友達の家へ立ち寄った。チョットだけ顔を出すつもりが結局4時間の語り合い、ワインも飲み干してしまったのだけど、こういうのは大事だと思った。時間があっという間だった。決めた通りに何もかも進むよりは、こういう風に流れに任せるといったのも大切。
そういった気持ちに切り替えると、気も楽になるし世界も明るくなる。近眼に眼鏡をかけたように、狭まっていた視野が広くなる。
最近昼間の仕事が落ちついた反面、バタバタと新しいフリーランスの仕事が入ってきている。といっても半分はボランティアなんだけど。
自分でも把握しきれていないと行けないので書き出してみると、
1、友人の結婚式招待状セット
2、友人のウェブサイト
3、No Touching Groundのアートブック(写真家引越で保留の可能性有)
今週末はもっぱら結婚式招待状用のイラストとデザインの作業をしていたけど、一週間後の1st Roundプレゼンに向けスピードアップが必要。同時にweekdayにウェブサイトのミーティングが入ってる。
週末には 2泊でLAから友達が遊びにくるので来週月曜辺りはぐったりなんだろうな。
4つ目のフリーランスとして、嬉しい知らせも来た。以前から2つアルバムデザインを手がけてきているHey Marseillesというシアトルのフォークバンドの2ndアルバムのアートワークの依頼が来た。今回でかれこれこのバンドのアルバムカバーを手がけるのは3回目。先週のバンドのミーティングで全員一致で私に頼みたいと決めたって言われて、単純にすごく嬉しかった。
正直少し予定はパンパンだけど、喜んで引き受けた。なんだかんだ言って、私の場合、忙しくしてる方が俄然元気になるし、結局その方が時間の使い方の効率が上がるのは間違いないから、バランスの取り方は人それぞれだなって感じる。
人はきっとこうやって、人のからの反応も求めていて、誰かが喜んでくれるっていう反応は自分を活性化させるんだと改めて実感する。だから、反応はある方がいいし感謝の気持ちや嬉しい気持ちはこれからもちゃんと伝えようと思う。
ナンダカンダ言っても、人は人と関係し合って生きていて、その関係のなかで、いろいろなものが生まれてそして無くなっていくものだ、と感じる。出来れば何も無くならない方がいい、でも人間にとっての時間と身体には限界があるから永遠にという訳には行かない。
だから私は今のところは、イソイソと動いていようと、それが今は自分にとって一番なんだと思う。そしてそういった中で生まれる関係を大切にしようと思った。
わたしを取り囲むすべてのものは、私にとっては私がその存在を認識してこそで存在して、そしてそのすべては、それがなくなった時に1/2無くなり、そして私が消滅する時にもう1/2無くなって全部無くなる。そして私も誰かにとってそれと同じことを繰り返す。
半分はあちらで、半分はこちらなんだと思った。
あちらがなければこちらもない。
こちらがなければあちらもない。
話がすごくそれたな。。最後にもう一つ。最近他にも楽しみな事が出来た。アコーディオン等色々やっていたのだけど、やはり私には黒鍵と白鍵のものが性に合う。家の近くに素敵なカフェがあり、そのカフェには素敵なグランドピアノがある。近く友達と日本の童謡をアレンジして、ピアノとバイオリンで練習して近い将来そこのカフェで演奏したいなと話している。
そういう事は楽しい。音楽はいい。
No music No life.
Wednesday, February 16, 2011
傷痕と記憶
虫垂炎(盲腸炎)の傷が時折チクリとすることがある。
今の医療技術では、虫垂炎は現代では傷あとの残らない手術として有名だが、私の場合、多少腹膜炎が始まっていたため、少し大きな傷になって残っている。
傷あとは嫌いじゃ無い。
むしろ、少し感謝している位だ。
この虫垂炎事件(二回目の炎症時にようやく虫垂炎と診断された)に際し、二回ともほぼ意識を失いかけて救急車で病院へ運ばれたのだが、その時の激痛の中での感覚と記憶は、鮮明に記憶に残っている。
人間は感覚遮断に陥らないレベルでの極限の環境におかれると、脳の働きは加速されるという。それが通常よりも強い記憶を残す事につながるのだろう。
その事は、肉体的にも精神的にも、同じ事が言えるのではないかと考える。
人は日々色々な事を経験し、感じたり考えたりしながら生きている。
でも、そのうちのどれだけのものが10年後に残っているだろうか。
強い印象となって刻まれているものは往々にして、目の前の出来事と自分の心が、深いレベルで一体化された体験にもとずく。
つまり、目の前の事実としての出来事の記憶ではなく、そのとき自分が感じた感覚の記憶である。
記憶に残る感覚というものは、事実の大小には依存しない。
自己の内面で感じた経験の真実によってのみ彩度が決められる。
そして真実は、きっと人の数だけ存在するもの。
肉体的極限状態に近づくと脳が活性化されるならば、精神的極限状態に近づくほど感覚が精鋭になる。
気の合う友達と会って楽しい事をしたり意見を交換し合うこと事も大切。でも、自分の心の部屋に入って消化したり考えるという時間も同じだけ大切。どちらかだけでは苦しい。
時時刻刻と目の前で起こる事象の中で、惑わされる事も多い。そんな中で、これからもっと感じる事を大切にしたいと思う。
感じなくなったら終わりなのだ。
二重人格かと言われそうだが、実際二重人格なんだと思う。
人間なんてそんなものでしょう。
A面とB面のバランスが(ある程度)保てれば、それで良し。
ちなみに昨日はB面だったが今日は少しA面にもどりつつある。
虫垂炎の傷がちくりとした事から、昔を思い出し、帰り道にそんな事を考えてみた。
外面にしろ内面にしろ、傷痕から学ぶ事はたくさんあるようだ。
だから傷痕は嫌いじゃ無い。
Tuesday, February 8, 2011
Saturday, January 15, 2011
いろはにほへどちりぬるを
先日の雪夜に書いた独り言、時間差で投稿してみます。
(諸行無常な気分でした)
夢中に生きている時には、その瞬間についてとりわけ意識しないけれど、何年も経った今、昨日のように思い出せる出来事が、もう10年も20年も前の事になっている、という経験を、最近し始めた。
ほんのここ2〜3年の間に、そういう風に思う事が増えたのは歳のせいだろうか。多分日本から離れて暮らしてる分、余計に想うということはあるかも。だとすると、こうしてシアトルで暮らしているこの一瞬のことも、この土地を離れて年月が過ぎ去った時に、やはり胡馬北風に依るがごとく、色々とふりかえり、きっと寂しく思ったりするんだろう。
こちらでの生活も、もうかれこれ6年。6年間の友達。6年間の街。人生60年だとして、今の時点で既に10分の1をシアトルで過ごした訳だから、なんだかんだ飽きただのやる事が無いだの街が小さいだの文句を言いつつも、やっぱり居心地いいし好きだからこうしてまだここに居る。小さいなりに凝縮された文化が確かにあると思う。人生で非常に大きな影響や刺激を与えてくれた人もこの土地に何人も居る。
好きな事への集中力とフレキシブルな性格、そして、まずはやってみる、というノリの実行力の結果が現在の生活なんだけど、今こうしてこんなことを書いているくらいなんだから、そろそろしっかり根の張りどころを決めないと、鉢植えのまま転々としていては枯れてしまいそう・・・。なんて気弱な事もたまには言ってみてしまう。
「夢中に生きていた時」が、死ぬ前に記憶に残る人生の一幕として蘇ってくるならば、その記憶に一緒に刻まれる人達は、そういった時の中で、強烈な感情をぶつけ合ったり、深く共鳴したり、印象に残る言葉を交わしたり、奮い立つような経験を共有したり、影響を与えてくれたり、逆にやすらぎや安心を提供してくれたり、そういった人達だ。
家族であれ、友達であれ、恋人であれ。一緒の土地に住んでいなくても、心を通わすことはできると思う。でも実際に生きる瞬間を共有することは大切だと思う。となりに座ってお茶をすするだけで、言葉にしなくとも伝わることもあるというもの。
再会を楽しみに想って過ごす時間も風流。でも、あまり間隔が空くと、その間に人生の考え方を変える出来事や、生活の変化もいくつも起こりうる訳で。現に以前、2年振りに帰国したら、結婚・出産・引越し・転職・新しい彼、などなど、周りの環境や友達の環境が変わりすぎていて、まさに浦島太郎になった事もある。
人と人は、楽しい事でも悲しい事でも、いろんな経験や感動や感情を一緒に体験しながら、伝え合ったりしながら絆を深めて行くものだと思う。だからこそ、一緒に人生を共有したい人達と離れている時間が長いのは、やっぱり本当に寂しいよね。その極論が多分「死」なんだろうな。かれこれ何度も近しい人の死に面して来ているけれど、「死」ということについては、あまりまだよくわからないから、語るのは控えようと思う。 ただ、人はいずれ死ぬし、時間には限りがある。
話が少しそれたけど、どちらにしても、わたしという人間は一人しか居ない訳で、日本にもシアトルにもありがたい事に沢山友達が居る訳で、いくつかの事務所で働いたけれども、どの場所でも上司や同僚に良くしてもらって来た。どちらかを選べば、もう一方からは離れなければいけない事は確か。
でももう答えは出てるんだ。あとは、「いつ」という丁度いいタイミングを決めること。
センチメンタルな事を抜きにしても、移動に伴っては、結局またある程度一からやりなおしになるわけだし、住む場所も無し(家に私の住める部屋はもう無いし・・・涙)、職もなし、そしてこの不況で採用状況は全く期待できない、それこそ心配事は底をつきない訳。
そもそもそんな「丁度いいタイミング」なんてものを待っていたら、いつまでもその時はこないんじゃないかとはっきり言って思う。だから、来ぬもの待つべからずでもう帰ってしまおうか・・・、などと極端な発想が生まれたりする。実際のところ、きっと帰ってみないとわからない事ばかり。
悩ましいな。。。胃が痛いな。。。
ねえ、どうしたらいい?
一つだけ確かな事は、この移動は、私にとって、人生の第三章の幕開けになる、ということだけ。
Friday, January 7, 2011
謹賀新年
皆様、新年あけましておめでとうございます。
2011年一つ目のブログ。新年早々だが、年末の事を、話してみようとおもう。
大晦日、買出しや大掃除をしながら考え事をしてみたことについて。
冬の高い陽が射す大晦日、いつからか私の分担となった大掃除のひとつ、玄関から門までのタイルの道を、黙々と洗い上げるという地味な作業をする間、何か考え事をしようと思い、まずは考える事を考えてみた。
そして思いついた事は、劣等感と危機感とその効力について。
私は、幼い頃から、何をするにも劣等感を覚えるような恥ずかしがりで、人前に出て話す事は大嫌いで、目立つ事も嫌いな、どちらかというと恐縮した子供だったように思う。今思うと、私の劣等感は、単純に自信のなさから来るものだったのかなと思う。
子供の自信は、親の育て方の影響が強いんじゃないかなと思うのだけれど、ある程度大人になると、性格と人格の責任は親から離れ、自分と向き合って解決して行かなければならない。つまりは、自信が無いのならばなぜ自信が無いのか、それを見つけて克服して行くしか無い。自分をさらけ出して注ぎ込む何かを見つけ、勉強をして努力をして、達成感や充実感を相対的に得られた時に、初めて自信が出てくるのだと思う。
以前にも言ったが、後天的な事柄に関する自信というのは、90%位は知識と経験が基盤になって出来るものだと思っている。
なぜこの日にこんな事を考えたかというと、やっぱり自分に自信が無いからなんじゃないかな。
正直なところ、自分でも嫌になっちゃうくらい、毎日周りの人が自分より優れて見えて、自分が誰よりも劣って思えて、自分の存在価値すら見いだせなくなる事がしょっちゅうある。はっきりいって、それが一年のうちのほとんどだ。新年早々こんなに鬱っぽい自信が無い話をするのも気が引けるが、そうなんだから仕方が無いよね。
ただ、一つ言えるのは、ここで肝心なのは、その劣等感を、エネルギーに代えるのを忘れない事。そのためには、安心しちゃいけないんだ。今居る場所で安心したら、そこがゴールになって、終わってしまう。
似たような事が、島国である日本や他の敗戦国と、先進国代表であるアメリカを比較しても言えると思う。
アメリカ人の、パスポート所持率は、約15%ほど。それに比べて日本は、25%。アメリカ人でパスポートを持っている人のほとんどは、その用途はメキシコなどバケーションに使われる。そういう話を聞いていると、一見グローバルに見えるアメリカでも、その国民単位で言うと、実は、かなり内向きなのではないかな。別にそれについての善し悪しを語ろうという訳ではないけれど。
要は、ここで明確になってくるものは、危機感の相違であるということ。自国以外の事への興味や、グローバル意識をものさしにかけたら、二位以下の国や途上国の方がよっぽど意識が高いのではないか。私は、個人においてもこの定義は当てはまると思っている。
劣等感から来る危機感が大きいほど、伸びる余地がある。
追いつくか追いつかないかは、問題じゃない。
重要なのは、その危機感を、効果的に活用する事だ。
安心しちゃいけない。
最後に、今年の抱負。
前文と全く関係ないが、今年1年、12ヶ月の計画表を作って、それに沿って進めて行こうと思う。
地味な目標だけど、着実に、今年はコレが一番大事な気がする。
それでは、本年も、よろしくお願いいたします。
Wednesday, December 8, 2010
二〇一〇 師走
まず、仕事での〆切が多い。
今の仕事は、自分のいるEast Asiaチームだけでなく、その他諸々のPMやDIチームやDevチームだけでなく、WindowsチームやFontチーム、SystemチームやらLocalizerチームやらIconチームうんぬんその他数を上げれば果てしない数の部署と密接に関係している。
今は、そういった関連部署へ、UIとIMEビジュアルの最終コンプを提示&シェアしなければならない時期に入っているから、まさに目が回りそう&猫の手も借りたい忙しさ。しかし、忙しすぎて、終わらないという話・・・。
12時間以上毎日働いたって終わらない。デザイナー私一人では足りません〜!頑張ってるけど、終わらないものは終わらないのです。
さておき、
今年一年を振り返ると、かなり動きの激しい一年だったのかもしれない。12月8日までの記憶に残る出来事をカジュアルに羅列してみました。
1、2010年の年明けは日本、従姉妹などと戯れのほほんとする
5、シンタロがLAへ引越してくる、これで音楽を通じて知り合った十年来の友達のうち自分も入れ3人が米国在住になる(かなりの高確率だと思う)
10、仕事が突如猛烈に忙しくなってくる
11、日本へ10月帰国が決まり水を得た魚のように活き活きとする
12、日本へ一時帰国、大学からの友達美里の結婚式でアコーディオン披露。お祝いとしてデザインしたウェディングボードが飾られる横にはなんとB’zの二人からお祝いのお花が!その後はまったり家族とネコと友達と憩いのひととき
13、ハッとする!
14、シアトルへ戻り腹痛に悩まされる、家族と友達はありがたい
15、「日本へ帰りたい」病
そういったところでしょうか。
結果としてみれば、非常に良いプログレスを納めた一年だったと言えると思います。今まで描いて来た、点と点がうまく繋がって来たような、そんな年でした。
それは、将来の方向性というか、今までの経験から今後の展開の可能性を具体的に連想できるだけの要素がそろってきた、という事かもしれない。
自信というのは、90%位は知識と経験が基盤になって出来るものだと思うから、まだ“自信”を持って“自信”があると言い切れない。
けれども、観察力と興味とひたむきな努力と勉強、あとはチームワークと人脈を築く人格と、ポジティブな姿勢があれば、結構受け入れられ、うまくやって行けるものだ。まあ、それを継続することが結構大変だったりするのだけど・・・。
重要なのは、一緒に働きたいと思われる人であるという事だと思います。気持ちのよい人間でありたいです、まわりのひとにとっても自分自身にも。大層なことを書いているように思うかもしれないけど、結局は自分が気持ちよくないと周りも気持ちよくないという事=思いきりやれ、ということになってしまうのです。
そういった事を、考えてみました。
まだチョット具合悪いのでこの辺にして寝ます。
写真は、2年前にパパと散歩した高田の興禅寺の境内にて。
ほんと、時が経つのは早いものです。あっという間に過ぎて行くから、大切にしなければね。
Friday, November 26, 2010
11月の大雪
大雪と言っても、20cmくらいだけどさ。
シアトルは、そんなに雪が降るような町ではないので、除雪車や塩を撒くトラックがほとんどないので、雪が降るとすぐに市内全体の昨日がストップしてしまう。
実際、この雪で、2日間くらい、バスは止まるは、会社もお休みになるわ、店はしまるわ、というかんじ。
雪は結構好きな方で、雪化粧した町を見るのも好き。ワクワクする。
でも、そんな私も、−10℃が2日間くらい続くと、けっこう厳しいモノがあった。家に居て靴下3枚は居てパンツ2枚はいて、セーター2枚着ても寒かった。絶対にシカゴとかには住めないわ。
アリとキリギリスでは、どちらかというとアリ派な私は、雪の日の前に、大量に食材を買い込んだので、しばらくこのまま引きこもって冬眠できそうです。
雪が降った日の一日を、ビデオに収めたのでリンクを張ります。
1、雪初日の出勤風景。
いつもの景色が幻想的になる。
2、同日の帰宅風景。
この日に限り友達の意見に流され違うルートで帰ったら案の定乗り換えバスは雪で走っていなかった。30分くらい−10℃の中立ち尽くし、ルートを変更して走るバスへとりあえず乗った時の風景。
3、同日、無事に帰還後、家の側はゲレンデと化していた。
若者がベッドや、ゴミ箱や、ショッピングカートや、雪車などで滑りまくる。
Sunday, November 21, 2010
Art 'n fArt 'n such
![]() |
| NTG個展展示作品の一つ。彼が歩道で鳥形に鳩の餌を施したアートをペインティングにて再現したもの。本物の鳩の餌が乗っている。 |
土曜に思ったこと。
JetLagが今頃襲って来て、すごい時間まで寝てしまって、一日を挽回するのが大変だった。私はどんなに昼寝をしても、だいたいいつも夜にはまた寝れてしまうので、遅く起きれば起きた分だけ、何かをする時間が少なくなってしまう。だから、最近では、お昼過ぎまで寝る、ということはしないようにしている。
今回の場合は、JetLagというよりは、明け方5時過ぎまで起きていたから、仕方ないか。なんでそんな時間まで起きていたかというと、シンタロと電話していたから。
彼とはかれこれ10年来の友達、この春からL.A.に住んでいて、日本でおなじみのROUND1のアメリカ第一号店の店長さん。すごく忙しそうだけど、開店後も盛況らしく、この先楽しみです。彼がいるL.A.とシアトルは時差無いけど、彼が仕事終わるのは朝の4時、ほんと頑張ってるわ。
電話の前は、仕事から帰った後、ひと風呂浴びて、夜10時半頃から、No Touching Groundというアーティスト名で活動してるLarsって言うここ5年来の友達の個展のOpening Receptionへ出かけて来ました。
No Touching Ground's "Catch & Release" artist reception ギャラリーの様子 Part 1
No Touching Ground's "Catch & Release" artist reception ギャラリーの様子 Part 2
この個展の前に収録されたインタビュー件ストリートパフォーマンスのビデオ by Judson Felder
LarsはFine Artの学士号持っていて、高校で美術の先生もしていた教育経験もあり、技術的にも知識的にも豊かな本格的アーティスト、頻繁に個展やグループ展などの活動をしている。夜はBanksyやShepard Faireyのように夜の街に出て、グラフィティで街を楽しくしてたりもするし、毎年夏には漁師としてアラスカに2〜3ヶ月サーモンを捕りに行く自然愛好家だ。
彼と友人アーティスト達がよく行う展示は、建て壊し予定の廃墟を乗っ取り、外も中もめちゃくちゃにグラフィティをしまくり、ストリートアートハウスを作り出すという事。過去に数回見に行ったけど、それはすごい迫力。アナーキーマーチングバンドや立体モダンアートの展示、パフォーマンスアーティストなども参加して、その中で舞踏なども演ざれる。
Larsとはアーティストの友達を通して知り合ったのかな。あまりアートとは関係ない出会いだったかも。4年ちょっと前に嵐で市内が停電したときにキャンドルが沢山ある友達の家に避難していたときに居た、そんな感じかな(笑)。そうして、シアトルのArt Sceneにいる彼と彼の親友のNKO(ニコ)を始め、面白い人々と友達になった。
最近、彼ともう一人の友達Juddという写真家と、Larsの作品集(グラフィティ中心+ペインティング+室内装飾)を出版しようと、3人で企画中。Larsのアートと、Juddが撮るアートの写真とを、私がデザインしてアートブックとして仕上げる。
仕事後の仕事としては、ずいぶん大きなプロジェクトなので、1年位はかかりそうだけど、私がシアトルに住んだ記念として、日本へ帰る前にこの土地に残せるモノを作りたいという気持ちで始めます。
そんな事を語った2010年シアトルの冬。
今日は日曜日、窓の外には雪が降り出した・・・。
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| カルメンと一緒にパチリ。 |
Friday, November 19, 2010
どんぐりについて

ついこないだ日吉の家に居る時、スーツケースを置かしてもらっていたパパの部屋(以前のピアノ部屋)で、綺麗なくるみを見つけた。
パパが、これは以前友達と山登りをした時に見つけたものだと言う。ちょっと欲しかったけど、あれはパパのだから我慢した。
実家からすぐそばにある金蔵寺の裏山は、私が調布市から越してきた10歳の頃は、もっとうっそうとしていて、タヌキも歩いていたの。本堂の左に裏山への入り口があって、そこから入り上がって行くと、昔防空壕だった洞窟がある。当時怖いもの見たさでキャーキャー言いながら、妹や友達とよく遊びに行った。
山を登り切ると、そこは日吉本町を見渡すちょっとした丘の上。小さな稲荷神社かなにかがあったっけ。その辺り一面に、カシの木や松が茂り、足元に丸いのや長いのや、色々なはどんぐりや松ぼっくりが落ちていたのをよく覚えている。
最近は、どんぐりや松ぼっくりを見つけるのがなかなか大変だし、夏だって、家の裏から蝉の鳴き声がいつからかしなくなった。
今思うと、防空壕が残っているなんて、あの裏山にも歴史があるな。もっとも、裏山という言葉自体、最近ではあまり耳にしなくなってきた。同じように、空き地という言葉もそうだ。小4まで住んでいた調布市緑が丘には、裏山や空き地が当時結構あって、虫かご虫網なんかを持っていてバッタなどをつかまえに行った。レンゲソウを摘んで、髪飾りなんかも作れてしまう器用な子供だったのよ。つくしなんかも生えていて、摘んでかえってママに煮てもらった記憶もある。懐かし。
裏山も空き地も、マンションやアパートなどが建設されて、少なくなってきているよね。ドラえもんののび太やジャイアンのように、空き地に野球をしに行くなんて発想は、ドラえもんがやってきた21世紀の都会に住む子供からはなかなか出てこない。
前回帰った時に、日吉駅から日吉本町へ向かう階段の下にある、滑り台とブランコと砂場くらいしかない小さな公園で、小学生の男の子二人がサッカーボールを蹴っていた。ちょっとでも間違うとすぐに窓ガラスを割ってしまうような場所。でも、道路は車が来て危ないので、そこしかないんだろう。こんなんじゃ、神成さんからゲンコツをおとされてしまう。なんだか子供が気の毒になった。
ゲームに没頭するのもムリは無いよな。遊び場は、裏山や空き地からモニターの中に変わってしまったのかな。
私は、将来は小民家をリノベして、少し都心から離れた所に住みたい、とココ数年思い続けている。
逗子、藤沢、鎌倉、茅ヶ崎あたりがよろしいかんじ。
上の写真はシアトルのアパートにて。どんぐりとか松ぼっくりとかそういうのが好き。
下の写真は新宿駅西口思い出横町にて。次回はこういう所に飲みに行きたい。












