Saturday, January 15, 2011

いろはにほへどちりぬるを


先日の雪夜に書いた独り言、時間差で投稿してみます。
(諸行無常な気分でした)


夢中に生きている時には、その瞬間についてとりわけ意識しないけれど、何年も経った今、昨日のように思い出せる出来事が、もう10年も20年も前の事になっている、という経験を、最近し始めた。

ほんのここ2〜3年の間に、そういう風に思う事が増えたのは歳のせいだろうか。多分日本から離れて暮らしてる分、余計に想うということはあるかも。だとすると、こうしてシアトルで暮らしているこの一瞬のことも、この土地を離れて年月が過ぎ去った時に、やはり胡馬北風に依るがごとく、色々とふりかえり、きっと寂しく思ったりするんだろう。

こちらでの生活も、もうかれこれ6年。6年間の友達。6年間の街。人生60年だとして、今の時点で既に10分の1をシアトルで過ごした訳だから、なんだかんだ飽きただのやる事が無いだの街が小さいだの文句を言いつつも、やっぱり居心地いいし好きだからこうしてまだここに居る。小さいなりに凝縮された文化が確かにあると思う。人生で非常に大きな影響や刺激を与えてくれた人もこの土地に何人も居る。

好きな事への集中力とフレキシブルな性格、そして、まずはやってみる、というノリの実行力の結果が現在の生活なんだけど、今こうしてこんなことを書いているくらいなんだから、そろそろしっかり根の張りどころを決めないと、鉢植えのまま転々としていては枯れてしまいそう・・・。なんて気弱な事もたまには言ってみてしまう。

「夢中に生きていた時」が、死ぬ前に記憶に残る人生の一幕として蘇ってくるならば、その記憶に一緒に刻まれる人達は、そういった時の中で、強烈な感情をぶつけ合ったり、深く共鳴したり、印象に残る言葉を交わしたり、奮い立つような経験を共有したり、影響を与えてくれたり、逆にやすらぎや安心を提供してくれたり、そういった人達だ。

家族であれ、友達であれ、恋人であれ。一緒の土地に住んでいなくても、心を通わすことはできると思う。でも実際に生きる瞬間を共有することは大切だと思う。となりに座ってお茶をすするだけで、言葉にしなくとも伝わることもあるというもの。

再会を楽しみに想って過ごす時間も風流。でも、あまり間隔が空くと、その間に人生の考え方を変える出来事や、生活の変化もいくつも起こりうる訳で。現に以前、2年振りに帰国したら、結婚・出産・引越し・転職・新しい彼、などなど、周りの環境や友達の環境が変わりすぎていて、まさに浦島太郎になった事もある。

人と人は、楽しい事でも悲しい事でも、いろんな経験や感動や感情を一緒に体験しながら、伝え合ったりしながら絆を深めて行くものだと思う。だからこそ、一緒に人生を共有したい人達と離れている時間が長いのは、やっぱり本当に寂しいよね。その極論が多分「死」なんだろうな。かれこれ何度も近しい人の死に面して来ているけれど、「死」ということについては、あまりまだよくわからないから、語るのは控えようと思う。 ただ、人はいずれ死ぬし、時間には限りがある。

話が少しそれたけど、どちらにしても、わたしという人間は一人しか居ない訳で、日本にもシアトルにもありがたい事に沢山友達が居る訳で、いくつかの事務所で働いたけれども、どの場所でも上司や同僚に良くしてもらって来た。どちらかを選べば、もう一方からは離れなければいけない事は確か。

でももう答えは出てるんだ。あとは、「いつ」という丁度いいタイミングを決めること。

センチメンタルな事を抜きにしても、移動に伴っては、結局またある程度一からやりなおしになるわけだし、住む場所も無し(家に私の住める部屋はもう無いし・・・涙)、職もなし、そしてこの不況で採用状況は全く期待できない、それこそ心配事は底をつきない訳。

そもそもそんな「丁度いいタイミング」なんてものを待っていたら、いつまでもその時はこないんじゃないかとはっきり言って思う。だから、来ぬもの待つべからずでもう帰ってしまおうか・・・、などと極端な発想が生まれたりする。実際のところ、きっと帰ってみないとわからない事ばかり。

悩ましいな。。。胃が痛いな。。。
ねえ、どうしたらいい?

一つだけ確かな事は、この移動は、私にとって、人生の第三章の幕開けになる、ということだけ。

Friday, January 7, 2011

謹賀新年


皆様、新年あけましておめでとうございます。

2011年一つ目のブログ。新年早々だが、年末の事を、話してみようとおもう。

大晦日、買出しや大掃除をしながら考え事をしてみたことについて。

冬の高い陽が射す大晦日、いつからか私の分担となった大掃除のひとつ、玄関から門までのタイルの道を、黙々と洗い上げるという地味な作業をする間、何か考え事をしようと思い、まずは考える事を考えてみた。

そして思いついた事は、劣等感と危機感とその効力について。

私は、幼い頃から、何をするにも劣等感を覚えるような恥ずかしがりで、人前に出て話す事は大嫌いで、目立つ事も嫌いな、どちらかというと恐縮した子供だったように思う。今思うと、私の劣等感は、単純に自信のなさから来るものだったのかなと思う。

子供の自信は、親の育て方の影響が強いんじゃないかなと思うのだけれど、ある程度大人になると、性格と人格の責任は親から離れ、自分と向き合って解決して行かなければならない。つまりは、自信が無いのならばなぜ自信が無いのか、それを見つけて克服して行くしか無い。自分をさらけ出して注ぎ込む何かを見つけ、勉強をして努力をして、達成感や充実感を相対的に得られた時に、初めて自信が出てくるのだと思う。

以前にも言ったが、後天的な事柄に関する自信というのは、90%位は知識と経験が基盤になって出来るものだと思っている。

なぜこの日にこんな事を考えたかというと、やっぱり自分に自信が無いからなんじゃないかな。

正直なところ、自分でも嫌になっちゃうくらい、毎日周りの人が自分より優れて見えて、自分が誰よりも劣って思えて、自分の存在価値すら見いだせなくなる事がしょっちゅうある。はっきりいって、それが一年のうちのほとんどだ。新年早々こんなに鬱っぽい自信が無い話をするのも気が引けるが、そうなんだから仕方が無いよね。

ただ、一つ言えるのは、ここで肝心なのは、その劣等感を、エネルギーに代えるのを忘れない事。そのためには、安心しちゃいけないんだ。今居る場所で安心したら、そこがゴールになって、終わってしまう。

似たような事が、島国である日本や他の敗戦国と、先進国代表であるアメリカを比較しても言えると思う。

アメリカ人の、パスポート所持率は、約15%ほど。それに比べて日本は、25%。アメリカ人でパスポートを持っている人のほとんどは、その用途はメキシコなどバケーションに使われる。そういう話を聞いていると、一見グローバルに見えるアメリカでも、その国民単位で言うと、実は、かなり内向きなのではないかな。別にそれについての善し悪しを語ろうという訳ではないけれど。

要は、ここで明確になってくるものは、危機感の相違であるということ。自国以外の事への興味や、グローバル意識をものさしにかけたら、二位以下の国や途上国の方がよっぽど意識が高いのではないか。私は、個人においてもこの定義は当てはまると思っている。

劣等感から来る危機感が大きいほど、伸びる余地がある。
追いつくか追いつかないかは、問題じゃない。
重要なのは、その危機感を、効果的に活用する事だ。

安心しちゃいけない。

最後に、今年の抱負。
前文と全く関係ないが、今年1年、12ヶ月の計画表を作って、それに沿って進めて行こうと思う。
地味な目標だけど、着実に、今年はコレが一番大事な気がする。

それでは、本年も、よろしくお願いいたします。