Thursday, February 24, 2011

日吉便り


今日2月24日は、妹曜子の誕生日でした。

一緒にご飯でも、というわけに行かないので、お誕生日メールとプレゼントを贈ったのだけど、そのお礼に実家の梅の花の写真とイライザの写真が送られてきました。

彼女の好きなもの2つ。イライザと庭の梅の木。

イライザは当然の事ながら桑畑家の愛猫につき、家族全員で目の中に入れても痛くないほど可愛がっているのあります。ま、パパとおばあちゃんは猫はそこそこ・・といった感じだけど。。

とりわけ曜子は、イライザの拾い主とだけあって、思い入れは一段と強いようで、実家に帰る度にイライザをいまにも食べてしまうのではないかというような勢いで可愛がっている。

実際気付くとパクッとイライザの手やら顔やらを口に入れて、すでにムツゴロウさんの域に達している我が妹。私も彼女もスーパー猫アレルギーの猫好きであります。

そして桑畑家の銘木であるこの梅の木。この木にはちょっとした歴史があります。

元々今の日吉の家の敷地には、平屋で大きな庭のある祖父母の家が建っていました。祖父母と父とその兄姉達は、父が高校の時くらいに富山からこの日吉の家へ超してきたのです。48〜9年前という事かな。当時からずっと、この梅の木はそこに立っていて。この梅の木は、父の学生時代の事も、母がお嫁に来た頃の事も、わたしが赤ちゃんのころに素っ裸に白い帽子かぶって庭に敷かれたござに座ってる様子も、じっと眺めてきたのです。

私が丁度小学校5年生になる春、祖父の体調の変化もあり、古い平屋を立て壊し、新しく敷地内に2件家を建てて、その一つにうちの家族が調布市仙川から引越してきたのです。私は小学校5年生になる春、典子氏は3年生、曜子氏は当時まだ幼稚園生。

家の建て壊しなどを経ても、庭の木は一部保存されて、松の木とこの梅の木、つつじやに薔薇やソテツなどが残った。中でも梅の木には思い入れがあるから残ってくれて良かった。

この梅の木は、昔からおばあちゃんが夏に梅の実がなると、収穫して梅干しをつくってくれた。おばあちゃんの手作り梅干し。買った梅干しには無いこの素朴な味が最高においしかった。そして仙川に住んでた時は、車で日吉から帰る際に車に酔わないおまじないといって、おへそに梅干しを入れられて絆創膏でペタッとはられた・・・。

おばあちゃんの知恵袋、といったところでしょうか。ちびまるこにでも出てきそうなエピソードがおばあちゃんの周りではよく起こるのです。もっともおまじないの効果については今でも謎なのですが。。今はもうおばあちゃんは94歳なので、代わりにうちのママが梅干しを漬けたり梅酒をつくっているようです。

あの梅の木の樹齢はどのくらいなんだろう。今度聞いてみよう。イライザは今17〜8歳くらいかな。最近はもうほとんど動かないでほぼ一日中寝てます。眠り猫。

とまあ、昔からある梅の木を、曜子氏はえらく好きで、梅の木に少しでも新芽が出始めようならばすぐに気付いてその事に着いて話してくれたので、彼女の発言に寄って季節を感じたりするようなこともある。そういうのっていいね。

送ってもらった写真を通して庭の梅の花の香りが届いたような気分。

雪の日にほっこり和みました。
ありがとう。

私はあなたの歳になる前の初夏にアメリカに来ました。いくつになっても自分次第で何でも出来るし自在に変わる。
でもさ、やっぱ、変わらないものっていうの大事だよね。
妹よ、頑張るのだー。姉はいましばし遠くから応援しております。

Monday, February 21, 2011

あちらとこちら


今週末は素晴らしい冬晴れの週末だった。丁度私のiMacが置いてあるデスクは窓辺コーナーにあるので、座って作業をしていると後ろから日差しが当たりとても暖かかった。

最近人からエネルギーを貰うようなことが多く、ここのところ引きこもりがちで暗い海の中へ横歩きで消えて行く蟹のようにになっていたところを救われたようだ。

土曜日に薬局へ処方箋を貰いに行く帰りに、お気に入りのワインを買い、友達の家へ立ち寄った。チョットだけ顔を出すつもりが結局4時間の語り合い、ワインも飲み干してしまったのだけど、こういうのは大事だと思った。時間があっという間だった。決めた通りに何もかも進むよりは、こういう風に流れに任せるといったのも大切。

そういった気持ちに切り替えると、気も楽になるし世界も明るくなる。近眼に眼鏡をかけたように、狭まっていた視野が広くなる。

最近昼間の仕事が落ちついた反面、バタバタと新しいフリーランスの仕事が入ってきている。といっても半分はボランティアなんだけど。

自分でも把握しきれていないと行けないので書き出してみると、
1、友人の結婚式招待状セット
2、友人のウェブサイト
3、No Touching Groundのアートブック(写真家引越で保留の可能性有)

今週末はもっぱら結婚式招待状用のイラストとデザインの作業をしていたけど、一週間後の1st Roundプレゼンに向けスピードアップが必要。同時にweekdayにウェブサイトのミーティングが入ってる。

週末には 2泊でLAから友達が遊びにくるので来週月曜辺りはぐったりなんだろうな。

4つ目のフリーランスとして、嬉しい知らせも来た。以前から2つアルバムデザインを手がけてきているHey Marseillesというシアトルのフォークバンドの2ndアルバムのアートワークの依頼が来た。今回でかれこれこのバンドのアルバムカバーを手がけるのは3回目。先週のバンドのミーティングで全員一致で私に頼みたいと決めたって言われて、単純にすごく嬉しかった。

正直少し予定はパンパンだけど、喜んで引き受けた。なんだかんだ言って、私の場合、忙しくしてる方が俄然元気になるし、結局その方が時間の使い方の効率が上がるのは間違いないから、バランスの取り方は人それぞれだなって感じる。

人はきっとこうやって、人のからの反応も求めていて、誰かが喜んでくれるっていう反応は自分を活性化させるんだと改めて実感する。だから、反応はある方がいいし感謝の気持ちや嬉しい気持ちはこれからもちゃんと伝えようと思う。

ナンダカンダ言っても、人は人と関係し合って生きていて、その関係のなかで、いろいろなものが生まれてそして無くなっていくものだ、と感じる。出来れば何も無くならない方がいい、でも人間にとっての時間と身体には限界があるから永遠にという訳には行かない。

だから私は今のところは、イソイソと動いていようと、それが今は自分にとって一番なんだと思う。そしてそういった中で生まれる関係を大切にしようと思った。

わたしを取り囲むすべてのものは、私にとっては私がその存在を認識してこそで存在して、そしてそのすべては、それがなくなった時に1/2無くなり、そして私が消滅する時にもう1/2無くなって全部無くなる。そして私も誰かにとってそれと同じことを繰り返す。

半分はあちらで、半分はこちらなんだと思った。
あちらがなければこちらもない。
こちらがなければあちらもない。

話がすごくそれたな。。最後にもう一つ。最近他にも楽しみな事が出来た。アコーディオン等色々やっていたのだけど、やはり私には黒鍵と白鍵のものが性に合う。家の近くに素敵なカフェがあり、そのカフェには素敵なグランドピアノがある。近く友達と日本の童謡をアレンジして、ピアノとバイオリンで練習して近い将来そこのカフェで演奏したいなと話している。

そういう事は楽しい。音楽はいい。

No music No life.

Wednesday, February 16, 2011

傷痕と記憶


虫垂炎(盲腸炎)の傷が時折チクリとすることがある。
今の医療技術では、虫垂炎は現代では傷あとの残らない手術として有名だが、私の場合、多少腹膜炎が始まっていたため、少し大きな傷になって残っている。

傷あとは嫌いじゃ無い。
むしろ、少し感謝している位だ。

この虫垂炎事件(二回目の炎症時にようやく虫垂炎と診断された)に際し、二回ともほぼ意識を失いかけて救急車で病院へ運ばれたのだが、その時の激痛の中での感覚と記憶は、鮮明に記憶に残っている。

人間は感覚遮断に陥らないレベルでの極限の環境におかれると、脳の働きは加速されるという。それが通常よりも強い記憶を残す事につながるのだろう。

その事は、肉体的にも精神的にも、同じ事が言えるのではないかと考える。

人は日々色々な事を経験し、感じたり考えたりしながら生きている。
でも、そのうちのどれだけのものが10年後に残っているだろうか。

強い印象となって刻まれているものは往々にして、目の前の出来事と自分の心が、深いレベルで一体化された体験にもとずく。
つまり、目の前の事実としての出来事の記憶ではなく、そのとき自分が感じた感覚の記憶である。

記憶に残る感覚というものは、事実の大小には依存しない。
自己の内面で感じた経験の真実によってのみ彩度が決められる。
そして真実は、きっと人の数だけ存在するもの。

肉体的極限状態に近づくと脳が活性化されるならば、精神的極限状態に近づくほど感覚が精鋭になる。

気の合う友達と会って楽しい事をしたり意見を交換し合うこと事も大切。でも、自分の心の部屋に入って消化したり考えるという時間も同じだけ大切。どちらかだけでは苦しい。

時時刻刻と目の前で起こる事象の中で、惑わされる事も多い。そんな中で、これからもっと感じる事を大切にしたいと思う。
感じなくなったら終わりなのだ。

二重人格かと言われそうだが、実際二重人格なんだと思う。
人間なんてそんなものでしょう。
A面とB面のバランスが(ある程度)保てれば、それで良し。

ちなみに昨日はB面だったが今日は少しA面にもどりつつある。

虫垂炎の傷がちくりとした事から、昔を思い出し、帰り道にそんな事を考えてみた。

外面にしろ内面にしろ、傷痕から学ぶ事はたくさんあるようだ。
だから傷痕は嫌いじゃ無い。