This blog used to be my strange random blog, but now I will use this as a place to update the rest of the journey fighting ovarian cancer.
今後はこのブログを通して、私の残りの闘病と、状況のアップデートをしていきたいと思います。
Wednesday, February 16, 2011
傷痕と記憶
虫垂炎(盲腸炎)の傷が時折チクリとすることがある。
今の医療技術では、虫垂炎は現代では傷あとの残らない手術として有名だが、私の場合、多少腹膜炎が始まっていたため、少し大きな傷になって残っている。
傷あとは嫌いじゃ無い。
むしろ、少し感謝している位だ。
この虫垂炎事件(二回目の炎症時にようやく虫垂炎と診断された)に際し、二回ともほぼ意識を失いかけて救急車で病院へ運ばれたのだが、その時の激痛の中での感覚と記憶は、鮮明に記憶に残っている。
人間は感覚遮断に陥らないレベルでの極限の環境におかれると、脳の働きは加速されるという。それが通常よりも強い記憶を残す事につながるのだろう。
その事は、肉体的にも精神的にも、同じ事が言えるのではないかと考える。
人は日々色々な事を経験し、感じたり考えたりしながら生きている。
でも、そのうちのどれだけのものが10年後に残っているだろうか。
強い印象となって刻まれているものは往々にして、目の前の出来事と自分の心が、深いレベルで一体化された体験にもとずく。
つまり、目の前の事実としての出来事の記憶ではなく、そのとき自分が感じた感覚の記憶である。
記憶に残る感覚というものは、事実の大小には依存しない。
自己の内面で感じた経験の真実によってのみ彩度が決められる。
そして真実は、きっと人の数だけ存在するもの。
肉体的極限状態に近づくと脳が活性化されるならば、精神的極限状態に近づくほど感覚が精鋭になる。
気の合う友達と会って楽しい事をしたり意見を交換し合うこと事も大切。でも、自分の心の部屋に入って消化したり考えるという時間も同じだけ大切。どちらかだけでは苦しい。
時時刻刻と目の前で起こる事象の中で、惑わされる事も多い。そんな中で、これからもっと感じる事を大切にしたいと思う。
感じなくなったら終わりなのだ。
二重人格かと言われそうだが、実際二重人格なんだと思う。
人間なんてそんなものでしょう。
A面とB面のバランスが(ある程度)保てれば、それで良し。
ちなみに昨日はB面だったが今日は少しA面にもどりつつある。
虫垂炎の傷がちくりとした事から、昔を思い出し、帰り道にそんな事を考えてみた。
外面にしろ内面にしろ、傷痕から学ぶ事はたくさんあるようだ。
だから傷痕は嫌いじゃ無い。
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めずらしい!えらく哲学的だね~。
ReplyDelete明日もう一本の親知らず抜歯してきます。
痛みと共に人生の一瞬を記憶に留めてきますんで応援宜しく。
*ちなみに人生は修行のようなもんだと思ってます。
by murata
私が大人になってから矯正して、親知らず+犬歯抜いたとき、ちょっと快感だったわ。痛みには結構強い方。頑張って楽しんできてねー。あと、歯はちゃんと貰って帰りなよー。
ReplyDeleteサチコさん虫垂炎だったんですね。
ReplyDelete傷跡と記憶は強く繋がってるんですね。
自分も虫垂炎の手術をする機会が去年の暮れにありました。
その人をたまに外来で見かけたりしますが、
僕もその人の顔と記憶は強く繋がっています。
お大事にしてくださいね。
のりおさん、コメントありがとう。虫垂炎は10年前位なんだけど、周りで助けてくれた人の事とかその時ホームで仰向けになった時の景色の残像とか今でも残ってる。しかし盲腸も卵巣のうほうもだけど、局所が痛いのでなくてお腹全体が痛いのが不思議。切除した盲腸の写真もっていたのだけど何処かで無くしてしまったのが残念。
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